家を出ることを決意した時のこと

2回目の離婚に関しては、相当悩みました。

だって、2回目ですから。まさか、2回も離婚するなんて思ってませんでしたから。

離婚はせずに、なんとかうまくやっていく方法はないかと考えていたのです。何度も言いますが、2回目なので。

 そこで、Joeさんの、離れたくても離れられないあの人からの「攻撃」がなくなる本を読んでみました。

 

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Joeさんによると、攻撃されるのは、「攻撃しやすい人間」に見えているからだそうです。この本には「攻撃されない人」になるコツのようなことが書いてあります。

子供のいない家庭には参考になる本だと思います。虐待、モラハラの攻撃がお子さんにも及んでいるような家庭だと、そのコツを実践することも、なかなか難しいのかなと思います。

 

実際、私も、本に書かれている方法が、子供達にとって果たして良い影響を与えるのかどうかというところで悩みました。

そして結果、離婚の道を選んだわけです。

元夫は、次女が生まれてからは、次女ばかりを可愛がるようになり、長女がおもちゃを片付けないだけで、異常なほど怒鳴り、長女の目の前で、おもちゃを壊して捨て、

夜、なかなか寝なければ、泣きわめく長女を無理やり腕を引っ張り、お風呂に閉じ込めたり、トイレに閉じ込めたり、、

ケーキでも買って家で食べようと買ってきたときも、楽しみで仕方ない長女は、慌てて箱を開けてぐちゃぐちゃにしてしまい、子供のするこんな小さな事に対しても物凄い剣幕で怒鳴る、、

日常的にこんな状況が続いていました。

 

離婚する前、まだ元夫と同居していた時のある日、元夫が出張から帰って来るまでに、家の洗濯物が乾いておらず怒鳴られた時がありました。

昼過ぎまでに洗濯物が乾いてなければならないとなると、前日の夕方、私が仕事を終えて帰ってきて、すぐに洗濯機を回さないと乾かないのです。

私は通常、18時過ぎに帰宅し、子供たちにご飯を食べさせ、お風呂に入れて寝かしつけなのですが、朝も5時半位には起きているので、寝かしつけと同時に自分も寝てしまいます。子供たちのドロドロになった洗濯物(泥遊びが激しい保育園なので)は、そのまま洗濯機に入れることはできず、必ず予洗いが必要なのですが、予洗いが夜中になったり、朝方になることも当たり前のようにあります。

自分では、最低限日々回るように家事をしていたつもりなのですが、怒鳴られたのです。

子供の前で「ママ、辛くなってきたから引越ししたいなぁ」と呟いてしまったのです。怒鳴られるのはこれが初めてでは無く、以前から何度も子供達の前で怒鳴られ続け、もう限界に来ていたのかと思います。

すると当時4歳の長女は、「おもちゃとかどうするの?」と、なんとも子供らしい疑問を投げかけてきました。「おもちゃも持っていくんだよ〜」と答えて、その日は終わったのですが、それから何週間か経ったある日のこと、長女が「お父さんが怒るから引っ越したい」と言うのです。びっくりしましたが、「ママ、そんなにお金持ってないんだ…」残念そうに言うと、長女は「お金持ってるよ!」と自分の財布から100円を差し出し、私にくれたのです。

もう、泣きそうになりました。

子供にこんなことを言わせるなんて、こんな思いをさせてしまっているなんて、、

私は、長女をギュッと抱きしめて「ママがちゃんと守るからね」と言うと、長女もギュッと返してきました。

長女は、「お父さんが怒る」と言う事実を、祖母や保育園の担任の保育士さんにも話していました。そこで、「でも、ママが一番怒られてる」とも話していたそうです。そんな風に見えいたんだ、と夫婦喧嘩の域を超えた、一方的に怒鳴れる光景を見せてしまっていた事も反省しました。

 

子供が辛い思いをしているのを知っていながら、何も出来ない私は、元夫と同罪だと考えるようにもなっていて、子供達を守れるのは私しかいないと、家を出る事を決意したのです。

 

家を出る前の長女の様子は、保育園のお絵かきにも表れていて、直前の1か月位のお絵かきは、色がありません。全て黒で書かれていました。

担任の保育士さんからは、子供が「お父さんが怒る」と発したこと自体が、それはもうSOSだと、「お母さんが決めかねているなら、児童相談所に通報したい」とまで言われたのです。元夫は、保育園にも怒鳴り込んだり、トラブルを起こすような人でしたので、担任の保育士さんも状況をわかって、そのようなことを言ってきたのだと思います。

保育士さんからそのように言われた時には、既に賃貸住宅を探している最中でしたので、とりあえず通報はしないでもらい、引っ越しを成功させるためと、引っ越してから待ち伏せ等の危険な目に合わないよう協力をお願いしました。

 

そして、無事に引っ越しができたわけですが、どのようにして引っ越したかについては、また別の記事にしたいと思います。